(昨日の続きです。)

私の「ファンクラブ」の1つの名前は、【みやすやおうちの会】です。


「みやすやおうち」...。

私がまだ幼稚園に入る前だったと思います。
両親が、私に、「犬の形をしたバッグ」を買ってくれました。

大好きなバックだったので、私は嬉しくて、すぐに自分で名前を書きました。

しかし、それは、「字と字の大きさや間隔」が、まちまちで、
「みやうちやすお」では無く、
「みやすやおうち」と読んだ方が良い感じの仕上がりでした...。

私は、それを発見した時、
「みやうちやすお」よりも「みやすやおうち」の「響き」の方がずっと好きで、
それから、
「お名前は?」
と聞かれると、
「みやすやおうちです!」
と元気良く答えて居ました...。


しかし、幼稚園に入ってすぐに、「徹底的に」、これを直されました...。
私には、数年後に、
「名前をきちんと言える事が、とても重要な事」が待って居たからです...。

そう...。
私には、「小学校受験」と言う物が待っておりました...。
(岡崎の方なら良く御存知の、「あの」、附属小学校です。)


兄は、既に「その小学校に」通って居ます...。
「上の子と下の子が、別々の小学校なんて...。」と言う思いから、
私「も」(「も」です)その小学校に入れようと、両親は、必至でした...。


その為の「幼稚園」...。
その為の「日常」...。


しかし、それら全てが、私には、「当たり前の事」としか、理解出来ませんでした...。

小学校は、「受験」と言う物が有って、それに受かったら行く所。

小学校は、「ひらがなとカタカナ」が書ける様になってから行く所。
小学校は、「魚のエラ全部の名前と役割」を言える様になってから行く所。
小学校は、「跳び箱」と「逆上がり」と「竹登り」が出来る様になってから行く所。
小学校は、...。
小学校は、...。
小学校は、...。


後で思えば、随分厳しい幼稚園だったと思いますが、
悲しいかな、当時の私には、「比較する物が、何も無い状態」でしたから、
これらの全てが、本当に、「当たり前」...。

そして、無事、小学校入学...。

このまま「何も無く」、その「附属」と言う形での学校生活を送れれば、
「それは、それで」、幸せだったのかもしれません...。


しかし、もしそうだったら...。


今の私は、全く別の仕事をして居たと思います...。
絶対に...。


{み}



(更に、明日へ続く...。)



《追記》
その頃に「封印」された名前、「みやすやおうち」を、
大人になってから使える様になるなんて...。
私は、本当に、幸せ者です...。{み}