「手袋をする事」で感じる事...。:エレクトーンデモンストレーター宮内康生の独り言。:So-net blog
SSブログ




「手袋をする事」で感じる事...。 [日々雑感...。]

「この冬初めて」感じた事では無いのですが、
「冬、手袋をしている」と感じる「視線」が有ります...。

毎年...。

「手袋をしている」と、
「なんとも言えない視線」を送られるのです...。

その視線を「表現する」と、
(極端な言い方かもしれませんが)
若い時は、
「男だったら、そんな軟弱な物、するな!」
で、
年齢を重ねてからは、
「あぁそうですよね...。
 年を取ると、血行が悪くなるでしょうから、冷えますよねぇ...。」
と言う、
「軽蔑・侮蔑」や、
「哀れみ」の様な、
そんな視線です...。



仕事で移動の時に「指や手が」冷えてしまうと、
「仕事場=実施会場」に着いてから、しばらくの間(時間)、
困ってしまう状態になるので、
その為の「手袋」なのですが...。


若い時(20代)から、毎年、
「秋が深まった頃=手が冷えそうな気温になった頃」に、
その頃は、まだ「手袋をしている方」が少なく...。

まさか、首から、
「私はエレクトーンを弾かせて頂いたり、
 御指導させて頂くのが仕事ですので、
 手が冷えてしまわない様に、
 手袋をします。」
と書いた物を下げている訳には行かないので、
「何こいつ、もう手袋なんかして!」
と言う視線を送られてしまい...。



手袋をしているだけで、
何で「そんな風に」見られなければいけないのかと、
悲しくなってしまいます...。

本当に...。



そう...。

こう言うのって、「手袋」に限らず...。



単純に、
「強い人間」が「良」くて、
「弱い人間」が「悪」い、
と言う風に「片付けてしまう」のが当たり前で...。


今は「料理が出来る男性」を「当たり前」と認められた感じですが、
以前は、
「料理が出来る男性」を「軟弱」とし、
「料理が下手な女性」は「ダメ」としてしまう事を、
何故、「変だ」と思わないのか、ずっと(若い頃から)不思議でした。

「「男」は~」
「「女」は~」
「「子供」は~」
「「年寄り」は~」
と、
「こうでなければいけない」と言う「きまり」が
「定着」してしまっていて...。



人って、そんなに「型に嵌(はめ)められる物」ですか???



そして、
「こうでなければいけない」の「範囲」から
「逸(そ)れる/外れる」と「ダメ」とされてしまい...。


そして、これは、
「エレクトーン」や「ピアノ」も同様で、
私がエレクトーンを習い始めた頃は、
「何故?男の子が?」
と言う人が多かったです...。

何故???



こう言う「何故?」の範囲をもっと広げると...。



例えば、
「少し位風邪気味」でも、
「学校に行く事」「仕事に行く事」が「良」しで、
それに寄って、「表情が悪化」し、
その風邪を「誰かにうつす(感染させる)事」になっても、
それが問題視される事が無い状態でした...。

ここ数年、やっと、
無理をして「登校/出社」した事で起きる
「うつす事の「罪/悪」や、
それで発生する「リスク」の方が問題視され始め、
「良い傾向だな...。」
と思っています...。

同じく、
一昔(ひとむかし)は、
「お腹が痛くても我慢しろ!」とか、
「頭が痛い位我慢しろ!」とか、
「病気」や「痛み」は「精神力で吹き飛ばせる物」で、
「吹き飛ばせない人」は、
「悪/精神的に弱い人間」だとされてしまっていましたが、
今は、
「こう言う考えの方がおかしい(変だ)...。」
と言う人が増えて来て、
(同様に)「良い傾向だな...。」
と思っています...。

「自分の思い通り「疾病」が消せるのならば」、
どんなに楽でしょうか...。



話を「手袋」に戻します...。



「寒かったら」手袋をすれば良いし、
「手袋をしている人」を「見下す」事は「変」だし、
逆に、
「寒くても手袋をしない人」を、
「手袋も買えない人なのか?」と「見下す」のも「変」だし...。


ちょっと前、
11月なのにまだ「冬にならず、暑い日が続いた時」に、
無理をして(皆が着ているから)「秋物」を我慢して着る人が多い中、
海外から日本に観光に来た方々が「Tシャツ一枚」で歩く姿が有り、
それを、
「変だ」
「日本を知らない」
とする人が多く...。

「カレンダー」に惑わされず、
「気温に合わせて着る物を替える」方が、ずっと楽な筈...。



「某有名な曲」で、
「好きな物は、好きだと言いたい」と言う内容の歌詞に共感するのなら、
同様に、
「好きな物を、好きだと言う人」に対しても共感するべきだし、
「したい事、好きな事をしている人」に対しても「認める」べきでは無いのか
と思います...。

勿論、「自由過ぎて人に迷惑を掛ける」のは、論外ですが...。


{み}



《追記》
私が子供の頃、毎年、
「子供のエレクトーンコンクール」で、「夏場」でも、
「クーラーから守る為」に、
「本番ギリギリまで手袋をしている子」を目にしました...。
(私では有りません...。)

その子は、
「子供のエレクトーンコンクール」の「常連」で、
言い換えると「毎年」優秀な成績を残して来た子です...。

その子に対してだけで無く、
「そう言う子」に対して、
同じ「出場者の子供達」もそうでしたが、それよりも、
大人の方が、「陰で」、
「そんなに賞が欲しいのかねぇ...。」
とか、
「「上手になると」、大変だねぇ...。」
とか、
そう話すシーンを、本当、良く目にしました...。

そう言うのを見る度、
まず、
「「そう言う事」を言う人が不思議」でしたし、
又、
「「賞を獲る」と言う考え」では無く、
「「きちんと演奏したい」と思うから「それに備える」と、
 何故、見てあげないのだろう?」
と思いました...。

「「コンクール=賞を競う」しか考えられない」人と、
「「コンクール」を目標に、自分を「上達/成長」させると考える」人では、
「その後に残る物」が、全く違うと思いましたし、事実、違いました。

「子供」の頃から、
「↑こんな思いを「し続けた」」
「こんな大人(=反面教師)を沢山沢山見てしまった」
その結果が、「その後の私」になったのは、確かです...。

そして、
「動け!」と思えば「指が思う様に思う」訳では無く、
「日頃(毎日)の練習」が一番大切で、
それを怠ったら、「動かない」のは、当たり前ですし、
でも、どんなに「動く様に」なっていても、
「冷え」や「怪我」が、「動かなくする」のも、当たり前で...。

「毎日練習する事を継続させる事」は「根性論」なのかもしれませんが、
その前に、
「動け!」と思う「気持ち」が足りないから「動かない」、
つまり「根性が足りない」とするのは、
やっぱり、「変」だと思います...。{み}



《追追記》
毎年、この内容を書かせて頂こうと書き始めては、
「上手く」文章がまとまらず、「没...。」にしていました...。

今、やっと、「公開」出来ると(私が)思う文章に
まとまった気がします...。

と言う事は、逆に言うと、
「こう言う考え」に共感して頂ける方が増え、
「世の中」が、少し変わったのでは無いかと思います...。{み}


共通テーマ:趣味・カルチャー






この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。